高瀬神社

     
 高瀬神社
 越中国一宮
 式内小・国幣小・別表神社
 祭 神
 大己貴命(大国主命)
 おほなむちのみこと
 天活玉命
 あめのいくたまのみこと
 五十猛命
 いたけるのみこと
 2017_06_14

大己貴命が北陸平定を終えて出雲へ帰る時に、国魂神として自らの御魂を鎮め置いたのに始まると伝えられる また、景行天皇11年(81)の御代の鎮座とも云われる 高瀬神の名で続日本紀日本三代実録などに度々登場し、神階を受けている 平安時代の末に一時国府が礪波郡に移転し、越中国一宮となった 多くの荘園を持ち、皇室の御領に宛てられたこともあり、隆盛を極めた 室町時代越中国一向宗徒の支配下に入った 戦国時代に荒廃したが、江戸時代に加賀藩主・前田氏の崇敬を受け保護された
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昭和22年(1947)GHQの指令によって中断されていた本殿の建立が、崇敬者有志の浄財や寄進により完成した 翌年には拝殿が、昭和62年(1987)には向拝殿が造営された 国道471号線を跨いで建つ大鳥居は、昭和天皇御在位六十年奉祝事業のひとつとして、小矢部市の故・西田東作氏(株式会社ゴールドウィン創業者)の寄進により建立 礪波郡内の氏神越中国内の式内社34座を祀る 越中国一宮は、当社のほかに射水神社気多神社雄山神社がある
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