洲崎神社・養老寺

     
 洲崎(すのさき)神社
 安房国一宮
 式内大(論)・県社
 祭 神
 天比理乃咩命
 あまのひりのめのみこと
     
 観音寺
 妙法山 通称:養老寺
 真言宗 智山派
 本 尊
 十一面観世音菩薩
 じゅういちめんかんぜおんぼさつ
 2017/4/22

社伝によれば、神武天皇の治世に天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲(御手洗)山に祀ったのが始まりであるという 祭神の天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)は、安房神社の祭神・天太玉命の后神で、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)とする 祭神の表記は延喜式神名帳によるが、これ以前に成立した続日本後紀などでは、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)と記載されている 乃と刀の一字違いであるが、延喜式の誤記だとする説がある 治承4年(1180)源頼朝は石橋山の合戦に敗れ安房国へ逃れ、洲崎神社に参拝し、使者の交渉が成功するよう祈願した 慶長2年(1597)金丸家累代鑑に、「安房郡洲宮村魚尾山に鎮座する洲宮后神社は、後に洲宮明神と称し、それを奥殿とし二ノ宮と曰う 洲崎村手洗山に洲崎明神あり、これを拝殿とし一宮と曰う」とあることから、洲崎神社洲宮神社は二社で一社であるとする説がある 文化9年(1812)房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が扁額を奉納した この扁額は「安房一宮 洲崎大明神」となっているが、一宮と記載された書物は過去にない 明治元年(1868)神仏分離令で養老寺が別当を外れた
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古くから神仏習合修験道の影響を強く受けていたため、役小角にまつわる伝承が多くある 養老元年(717)地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので、役小角が祈祷を行い大蛇を退治したという 浜鳥居の前の海岸に神石があるが、裂け目のあることから吽形とされ、対岸の三浦半島安房口神社にもう1つの阿形とされる石が祀られている 本殿は延宝年間の造営とするが、江戸時代中期以降に大規模な修理をしたと見られる(館山市文化財) 随身門は宝永年間の造営 戦前まで航海安全を祈願して船頭が奉納した絵馬が多く見られた 現在は兼務社となり、神職は常駐していない 洲埼灯台は大正8年(1919)設置、房総半島南部で最も西にある 三浦半島最南端の東にある剱埼灯台とを結んだ線は東京湾の境界になっている 平成9年(1997)波左間海中公園の沖600m・水深12mに、洲崎神社から分社された海底神社が鎮座する(オールステンレス)
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養老元年(717)役行者(えんのぎょうじゃ)により創建されたという 境内奥の石窟には役行者の石像が祀られている 海上歩行や空中歩行の神通力を持つことから足の神として信仰され、岩窟には多くの履物が奉納される 観音堂の左奥には役行者の霊力で湧いた独鈷水があり涸れることがないという 治承4年(1180)石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房国に上陸した源頼朝の伝説が残されている 洲崎神社を参拝した頼朝は、昼食で箸代わりに使ったすすきを「わが武運が強ければここに根付けよ」といって地に挿したという 南総里見八犬伝では、役行者の化身が里見義実の娘・伏姫に、仁義礼智忠信孝悌の文字が浮かぶ仁義八行の数珠を与える 江戸時代までは隣接する洲崎神社別当寺だった 本尊の十一面観世音菩薩は洲崎神社本地仏である 東京湾の入口で、内房と外房の境目でもある 子育て保育園が併設されている
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