諏訪原城

     
 東海道 遠江の国
 城 名 諏訪原城
 別 称 牧野城
 所 属 戦国時代・武田勢
 築城年 1573
 築城主 馬場信春

永禄11年(1568)武田信玄松平家康は同盟し、駿河遠江を領していた今川氏を東西から攻め立てた 永禄12年(1569)今川氏真掛川城を明け渡し、北条氏を頼って小田原に敗走し、駿河は武田氏に、遠江は徳川氏の所領となった 元亀3年(1572)武田氏は徳川氏に大攻勢をかけ、二俣城などを落城させ、三方ヶ原の戦い徳川家康を破った 元亀4年・天正元年(1573)信玄は病死するが、武田勝頼馬場信春武田信豊に命じ、東海道沿いの牧之原台地に城を築かせた 城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪(之)原城と名付けられた 天正3年(1575)長篠の戦いで武田軍が織田・徳川連合軍に大敗し、家康は駿河遠江の奪還に転じる 諏訪原城主・今福浄閑斎は討死、残兵は田中城に逃亡した 家康は松平康親と牧野右馬允に交代で城番をさせ、西郷家員→松平家忠→戸田康長の順で守備や普請を担当する交代番を置いた この時、牧野(原)城と改めた 天正18年(1590)廃城
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訪問日 2017_02_17 遺 稿 建築遺構なし
入場料 無料 駐車場 無料 F1
甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀が複数有り、台地の突端部を利用した攻撃的な構造を持つ 小山城と共に、大井川西岸の防衛線及び高天神城への補給線を確保する重要な拠点となった 徳川氏は、東海道により近い位置に曲輪を築き、堀や丸馬出しを増強した 天正10年(1582)武田氏が滅亡すると牧野城の存在意義は薄れた 明治維新後、駿府徳川慶喜を慕って旧幕臣たちが、開墾して茶畑を造り移住した 昭和50年(1975)国の史跡に指定 平成29年(2017)続日本100名城に選定(146番)
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