伊佐須美神社・文殊堂

     
 伊佐須美神社
 岩代国一宮・陸奥国二宮
 式内・名神・国幣中・別表神社
 祭 神
 伊弉諾尊
 いざなぎのみこと
 伊弉冉尊
 いざなみのみこと
 大毘古命
 おおひこのみこと
 建沼河別命
 たけぬなかわわけのみこと
     
 青龍寺
 文殊院
 天台宗
 本 尊
 文殊菩薩
 もんじゅぼさつ
 2017_01_17

第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうち、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命が、会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が会津の開拓神を祀ったのが始まりとされる 日本書紀にある四道将軍とは、崇神天皇10年に北陸・東海・西道・丹波に国土平定のため派遣された、大彦命武渟川別命吉備津彦命丹波道主命の伝説上の将軍である 古事記では時期や人物に異同があるが、大毘古命と建沼河別命が行き会った地を相(会)津と名づけたと伝える 御神楽岳に創祀し、その後は博士山・明神ヶ岳・高田南原を経て、欽明天皇21年(560)に現在地の高田東原に遷座した この只見川沿いに越後から会津遷座していったのは、ヤマト王権が北陸側から侵攻した足跡であろうとする説がある 3番目の明神ヶ岳には現在も伊佐須美神社の奥宮が鎮座している 9世紀中頃の会津地方は会津郡と耶麻郡の2郡から成っていたが、耶麻郡猪苗代町の磐椅神社の方が上位であった 延喜式神名帳がまとめられた10世紀初頭には伊佐須美神社の方が上位となった 中世には領主・蘆名氏から、近世には会津藩主・松平氏からの崇敬を受けていた
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4柱を総称して伊佐須美大神・伊佐須美大明神とも称され、会津総鎮守である 相殿神として塩釜大神・八幡大神も祀られている 度々火災に見舞われ、文亀3年(1503)・天明3年(1783)・文化9年(1812)・明治元年(1868)・明治30年(1898)と社殿を焼失している 明治32年(1900)再建されたが、平成20年(2008)火災で焼失した 拝殿跡に仮社殿が建てられた 平成元年(1989)楼門が造営され、それまであった神門は東神門として移築された これらの門は火災を免れた 境内の林は神域として立ち入りが禁じられていたため、自然林が保たれている 社宝として室町時代の朱漆金銅装神輿(重要文化財)などがある 平成27年11月に逝去した轡田宮司が進めていた、天空にそびえ立つ神殿と謳う造営計画は撤回された 造営資金の募財が目標額より大きく不足し、神社本庁の承認も得られていないことが判明したため、焼失以前の社殿を模した造営計画を新たに作成することとなった
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暦応2年(1339)円済法師がここで独鈷を投げたところ光を放ったので、堂を建てたことが始まり 寛文年間に伊佐須美神社境内から離れ、伊佐須美神社別当を司っていた 高田出身の名僧・天海の出生と関わっていたため僧正の死後、上野の寛永寺文殊菩薩像を移した 寛永寺からは代わりの文殊菩薩を、幕府からは三つ葉葵の御紋を拝領した 天明の頃、文殊菩薩は堂と共に焼失したが、再び寛永寺より文殊菩薩像が贈られた
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日本三大文殊(紙の文殊・硯墨の文殊・筆の文殊)のひとつで、筆の文殊と言われている 書道上達の霊験あらたかで、文殊堂の中に4本の大筆が奉納されている 毎年2月25日は文殊大祭で、学問成就・技芸上達を願う多くの人で賑わう 日本三文殊 山形県東置賜郡 真言宗智山派 大聖寺 京都府宮津市 臨済宗妙心寺派 智恩寺 (紙の文殊)通称・切戸(九世戸)の文殊奈良県桜井市 華厳宗 安倍文殊院 (硯墨の文殊)陰陽師安倍晴明の出生地
天海に所縁のある寺
興福寺     延暦寺     輪王寺(日光)
喜多院     三井寺     滋賀院門跡     長楽寺