閑谷学校・閑谷神社

     
 閑谷(しずたに)神社
 県社
 祭 神
 池田光政
 いけだみつまさ
 池田輝政
 いけだてるまさ
 池田利隆
 いけだとしたか
 2016_12_01

寛文10年(1670)池田光政は津田永忠に閑谷学校の建設を命じた 延宝2年(1674)津田は学房・講堂・聖堂などを建設 延宝3年(1675)光政は領内に123あった手習所を閑谷学校に統合した 天和2年(1682)池田光政は学校を永続保つように遺言して亡くなる 転封や改易により藩主の交替があっても存続できるように、学校領を設けて藩の財政と切り離した 元禄15年(1702)津田永忠は芳烈祠(現・閑谷神社)・椿山(御納所)の建立、石塀と門を整備し、聖堂と講堂の改築、建物は備前焼の瓦で葺かれた 弘化4年(1847)学房・共感宿舎・客宿舎などを消失 明治3年(1870)藩政改革により閉鎖
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明治6年(1873)池田慶政が資金を提供し、備中の漢学者山田方谷を招いて、閑谷精舎と改称して再興 明治10年(1877)生徒数が減少し休校 明治17年(1884)閑谷黌(しずたにこう)と改称して再興 明治36年(1903)中学校に移行する 大正10年(1921)岡山県立閑谷中学校となった 昭和23年(1948)岡山県立閑谷高等学校となる 昭和39年(1964)統合と合理化のため閉鎖
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昭和40年(1965)明治時代の校舎は岡山県青少年教育センター閑谷学校として転用される 平成3年(1991)閑谷学校資料館として利用される 平成13年(2001)閑谷学校資料館が登録有形文化財に登録される 講堂は国宝、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が重要文化財閑谷学校は、周辺の津田永忠宅跡及び黄葉亭などを含め、国の特別史跡に指定されている
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貞享3年(1688)後期池田藩の藩祖・池田光政を祀るため創建 江戸時代には芳烈祠・東御堂と呼ばれていた(芳烈は光政公のおくりな) 閑谷学校の一角に鎮座しているため、参拝には閑谷学校への入場料が必要 2本の楷の巨木や周辺のもみじが美しく、秋の紅葉名所でもある 祭神 池田光政-播磨姫路藩第3代藩主、因幡鳥取藩主、備前岡山藩初代藩主、岡山藩池田宗家3代 池田輝政-光政の祖父 美濃池尻城主・大垣城主・岐阜城主、三河豊橋吉田城主、播磨姫路藩の初代藩主(姫路城を現在の姿に修築した) 池田利隆-輝政の長男・光政の父 播磨姫路藩第2代藩主、岡山藩池田家宗家2代
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