鹿児島城

     
 西海道 薩摩の国
 城 名 鹿児島城
 別 称 鶴丸
 所 属 鹿児島藩
 築城年 1601
 築城主 島津忠恒

慶長6年(1601)島津忠恒(家久)により築城 南北朝時代に上山氏が築いた上乃山城を後詰めの城とし、麓に築いた質素な屋形とで構成される平山城 天守や高石垣などは築かなかったため、藩内に113の外城(郷)を配置し、外城制度という軍事・行政の仕組みで備えていた 初代の城代として島津歳久の孫の常久が居住した 慶長19年(1614)疱瘡により早世、城山自体が聖域として立入禁止区域となった 台風や噴火など災害の多い地域でシロアリ被害もあったため焼失・倒壊し、幾度も建て替えが行われた 寛永年間(1624~43)城の周りには武家屋敷を、その周辺には町屋敷を配置し、計画的な城下町が建設された 元禄9 年(1696)本丸焼失 江戸時代約260年間の島津家代々の居城となった
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明治6年(1873)本丸・御楼門焼失 明治10年(1877)二之丸焼失 明治34年(1901)第七高等学校造士館が置かれた 大手門との間に架かる石橋が現存している 出丸跡は西郷隆盛の私学校跡地でもある この石垣には西南戦争の際についた弾痕がある 昭和58年(1983)本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館が開館した 二の丸跡には県立図書館・博物館や市立美術館などが建っている 平成25年(2014)御楼門の復元プロジェクトが進められている 案内図や看板などは鶴丸城でほぼ統一され、正式名の鹿児島城の表記がほとんどない
訪問日 2016_10_01 遺 稿 建築遺構なし
入場料 310 駐車場 無料 F1
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