新田(にった)神社

     
 新田神社
 薩摩国一宮
 式外・国幣中・別表神社
 祭 神
 天津日高彦火瓊瓊杵尊
 あまつひだかひこほのににぎのみこと
 天照皇大御神
 あまてらすすめおおみかみ
 正哉吾勝勝速日天忍耳穂尊
 まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
 2016_10_01

延喜式には記載がなく、創建時期は不明 永万元年(1165)の史料に、貞観(9世紀)のころに再興とあるのが最も古い 承安3年(1173)焼失 安元2年(1176)山頂に遷座 文治年間に鹿児島郡司の惟宗康友が執印職(神社筆頭職)に就き、執印氏を名乗り代々明治まで世襲する 鎌倉幕府は各国の一宮と国分寺に蒙古調伏の祈祷を命じた 枚聞神社との間で一宮論争が起こっていたが、島津忠宗は執印氏が同族であったため、剣・神馬を新田神社に奉納した 国分寺留守職・天満宮別当職には執印氏の分流の国分氏が就き、更に繋がりを深くする 暦応4年(1341)の島津家文書に依れば、新田神社が薩摩国一宮としている
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「新田」の名は、瓊瓊杵尊が川内川より水をひいて新しく水田をつくったことに由来するという 江戸時代までは八幡五所別宮の一つとして八幡三神(応神天皇神功皇后武内宿禰)を祀っていた そのため八幡新田宮・一宮八幡・新田明神・川内八幡とも呼ばれる 摂末社が多く19社ある 明治7年 (1874)可愛山陵(えのやまのみささぎ・えのさんりょう)が邇邇芸尊陵の指定を受ける 本殿の裏手にある神亀山の5分の4が陵墓の領域で、宮内庁が管理している 大正9年(1920)昭和天皇(当時は皇太子)参拝、昭和37年(1962)今上天皇美智子皇后(当時の皇太子・妃)参拝、など皇族の参拝は9回にも及んでいる
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鎌倉時代上野国で活躍した新田義貞などを祀った新田神社と関係はなく、鹿児島県内にはこの神社から勧請された新田神社が多い
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