出石城・稲荷神社

     
 山陰道 但馬の国
 城 名 出石城
 別 称 高城
 所 属 出石藩
 築城年 1604
 築城主 小出吉英
     
 有子山稲荷神社
 城山稲荷
 式外・村社
 祭 神
 稲荷神
 いなりしん

但馬国守護・山名時義が、出石神社の北側に、此隅山(このすみやま)城を築いた 永禄12年(1569)織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城 天正2年(1574)今井宗久の仲介によって織田と和睦し、山名祐豊は有子山(ありこやま)城を築いた 天正8年(1580)羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城、山名氏は滅亡した 天正13年(1585)前野長康、文禄4年(1595)小出吉政が城主を務めた 慶長9年(1604)関ヶ原の戦いの後、小出吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、麓の郭と館のみを出石城と命名し、幕府に居城として届けた それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、出石藩の藩庁となり、城下町も整備された 元禄9年(1696)小出英及が3歳で死去、小出氏は無嗣改易となった 宝永3年(1706)仙石政明が入城し、明治まで仙石氏の居城となった
画像
画像
画像
画像
慶長9年(1604)創建、稲荷神社・城山稲荷とも 出石城本丸より一段高い稲荷曲輪に築城時から鎮座する城の鎮守 2月の最初の午の日に、城の大手門を開放し、身分を問わず参詣を許した 城の麓から始まる石段の参道には、37基の鳥居が並び、157段上った右手に社殿がある さらに石段を登ると有子山城跡がある
画像
画像
画像
文中年間に山名時義が築いた此隅山城の鎮守を、天正2年(1574)山名祐豊が有子山城の鎮守として勧請したとする説も
訪問日 2016-08-28 遺 稿 模擬隅櫓・木造復元門
入場料 無料 駐車場 400 C2
画像
隅櫓・登城門・登城橋などが復元され、登城橋河川公園として整備されている 辰鼓楼(しんころう) 明治4年(1871)辰の刻の城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣が完成 明治14年(1881)旧藩医の池口忠恕がオランダ製の機械式大時計を寄贈し時計台となった 札幌農学校演武場の時計台が設置されたのも同じ明治14年で、いずれが古いかははっきりしないが、これより古いものはない