丹後国分寺

     
 丹後国分寺
 護国山
 高野山真言宗
 本 尊
 薬師如来
 やくしにょらい
 日光菩薩
 にっこうぼさつ
 月光菩薩
 がっこうぼさつ
 2016-06-18

正確な年代は不明だが、8世紀末には建立されていたものと推定される 鎌倉時代後期には衰退した 建武元年(1334)円源房宣基が奈良・律宗西大寺派の支援を受けて伽藍を再興、後醍醐天皇の勅使が参列し金堂供養が営まれた 明応10年(1501)から永正3年(1506)の間に制作された雪舟の傑作・天橋立図には五重塔と金堂、中門や塀、堂舎が描かれている 天文11年(1542)兵乱で焼失したとあり、以後の国分寺の消息については不明 天和3年(1683)洪水によって堂宇が破損したと寺伝にあり、背後の丘陵地へ移転した(現存寺)
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7世紀に令制国として丹波国が成立したときは、丹波の中心は日本海に面した丹後半島地域だった 奈良時代にはその中心地は都に近い南部(丹後分国後の丹波国の地域)へと移動していた 和銅6年(713)丹波(たにわ)が丹波・但馬・丹後に分立する 丹後の二字でタニハノミチノシリと訓じられた(波と道は省略された)
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境内には、金堂跡、塔跡、中門跡などの礎石や基壇が残り、奈良時代の瓦が出土した 中門以外の礎石は火災を受けた痕があることから、再建されたときのものと考えられる 昭和5年(1930)国の史跡に指定、国分寺跡一帯は整備が行われ公開されている 隣接する京都府立丹後郷土資料館では、出土瓦や関係資料の展示をしている