箕輪城

     
 東山道 上野の国
 城 名 箕輪城
 別 称 
 所 属 戦国時代・上杉勢
 築城年 1512
 築城主 長野業尚

永正9年(1512)守護代の長野業尚か、大永6年(1526)子の信業によって築れた 永禄元年(1558)関東管領上杉憲政が越後へ亡命したが、信業の子・長野業正は上杉政虎の後ろ盾を得て、甲斐の武田信玄や相模の北条氏康の侵略を退けた 永禄4年(1561)業正が没すると子の業盛はその死を秘匿した 永禄9年(1566)武田軍は総攻撃を仕掛け、業盛は自刃して長野氏は滅亡した 武田氏の上野経営の拠点と位置づけられ、真田幸綱・浅利信種・内藤昌豊ら有力家臣が城代となる 天正10年(1582)天目山の戦いで武田氏は滅亡、織田信長の家臣・滝川一益が接収 同年、信長が本能寺の変で倒れると、北条氏政とその子・氏直が上野国に侵攻し、氏政の弟・氏邦が入城した 天正18年(1590)豊臣秀吉小田原征伐の際に前田利家上杉景勝連合軍の攻撃により開城 関東に入った徳川家康は、徳川四天王井伊直政を入城させた 井伊直政は近代城郭に改造した 慶長3年(1598)井伊直政が南方の和田宿に新たな城を築き、和田宿を高崎と改名して移ると、箕輪城は72年の役割を終えた
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訪問日 2016_02_02 遺 稿 建築遺構なし
入場料 無料 駐車場 無料 F1
榛名白川による河岸段丘にあって、西には榛名白川、南には榛名沼が天然の堀を形成していた 石垣・土塁・空堀の跡が残る 昭和62年(1987)国の史跡に指定 平成18年(2006)日本100名城(16番)に選定 2018年度には郭馬出西虎口門(櫓門)・本丸西虎口門(高麗門)が木造復元される
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