新薬師寺

     
 薬師寺
 日輪山
 華厳宗
 本 尊
 薬師如来
 やくしにょらい
 十二神将
 じゅうにしんしょう
 2015_07_24

平安末期の東大寺要録に、天平19年(747)光明皇后が夫・聖武天皇の病気平癒のため、新薬師寺を建て七仏薬師像を造った、という記載がある 東大寺山堺四至図という東大寺の寺地を示した絵図が正倉院にあり、現・新薬師寺の位置に新薬師寺堂、東方の春日山中に香山堂(香山寺)が明記されている この絵図が作成された天平勝宝8年(756)には両寺院が並存していた 香山寺は天平17年(745)以前に建てられた別寺院だったが、平安時代中期頃に廃絶したか、薬師寺に合併したようである 当時の新薬師寺東大寺の末寺で、香山薬師寺または香薬寺という別名があった 正倉院文書によると、天平宝字6年(762)造香山薬師寺所という役所があって、造営が続いていたことを示している 宝亀11年(780)落雷で西塔を焼失 応和2年(962)台風で金堂や主要堂宇が倒壊 治承4年(1180)平重衡の兵火で、東大寺興福寺は主要伽藍を焼失したが、新薬師寺は焼け残った 鎌倉時代には華厳宗中興の祖・明恵が一時入寺し、復興に努めたが往時の規模に戻ることはなかった
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平成20年(2008)奈良教育大学の校舎改築に伴う発掘調査が行われ、大型建物跡が検出された 現・新薬師寺の西約150mに位置し、七仏薬師堂に相当すると推定されている 現在の本堂は奈良時代の建築だが、本来の金堂ではなく、他の堂を転用したものである(国宝) 中央に本尊・薬師如来像(国宝)を安置、これを囲んで十二神将像(国宝11躯)が外向きに立つ 宮毘羅(くびら)/波夷羅(はいら)大将像のみ江戸時代末期の地震で倒壊し、昭和6年(1931)に補作した(国宝指定外) 堂内中央に大型の円形仏壇を設置することを想定して設計されたものと考えられる 南門・東門・地蔵堂・鐘楼(梵鐘含む)は鎌倉時代に建てられた(いずれも重要文化財) 新薬師寺(華厳宗)の新は、西ノ京の薬師寺(法相宗)より新しいという意味ではなく、霊験あらたかなという意味だとしている また、古代の寺院には山号はなく、日輪山とは後世に付したものである
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薬師寺十二神将
漢名読み文化庁十二支本地仏
因達羅大将いんだら波夷羅地蔵菩薩
安底羅大将あんてら伐折羅観音菩薩
迷企羅大将めいきら因達羅阿弥陀如来
珊底羅大将さんてら安底羅虚空蔵菩薩
真達羅大将しんだら真達羅普賢菩薩
緊那羅
招杜羅大将しょうとら珊底羅大日如来
宮毘羅大将くびら招杜羅弥勒菩薩
宮比羅
摩虎羅大将まこら摩虎羅大威徳明王
毘羯羅大将びぎゃら毘羯羅釈迦如来
波夷羅大将はいら宮毘羅文殊菩薩
頞儞羅大将にら頞儞羅如意輪観音
阿儞羅
伐折羅大将ばさら迷企羅勢至菩薩


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