法華寺

     
 法華寺
 法華滅罪之寺
 光明宗 単立
 本 尊
 十一面観音
 じゅういちめんかんのん
 2015_04_13

元々ここには藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明皇后が皇后宮とした 聖武天皇天平13年(741)国分寺国分尼寺建立の詔を発した 天平17年(745)皇后宮を宮寺とした 天平19年(747)国分尼寺とし、法華寺と称した 詔が発せられてからの数年間、大和国国分尼寺が存在したかどうかは不明 東大寺の前身寺院である金鐘寺に属していた阿弥陀堂が法花寺であろうという説がある 法華寺国分尼寺でありながら、皇后発願だったため完成までに相当の歳月を要した 延暦元年(782)法華寺造営のための役所であった造法華寺司が廃止されたことから、この頃まで建立工事をしていたことになる 平安京遷都以後は衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃していた 建仁3年(1203)東大寺大仏の再興を果たした重源が法華寺の堂宇や仏像を再興した 鎌倉時代中期の真言律宗叡尊により本格的に復興された
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光明皇后ゆかりの門跡尼寺、また氷室(ひむろ)御所・比丘尼(びくに)御所とも呼ばれた 東大寺が総国分寺法華寺は総国分尼寺、詳しくは金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)・法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら) 本堂・鐘楼・南門は、慶長6年(1601)豊臣秀頼淀殿片桐且元を奉行として復興したもので、いずれも重要文化財 本尊の十一面観音像は国宝、平安時代の初期9世紀前半の制作 から風呂は、光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂、現在の建物は明和3年(1766)のもの(重要有形民俗文化財) 平成11年(1999)真言律宗から離脱し、皇后の名にちなんで光明宗と名づけ独立した
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諸国国分尼寺へのリンク
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大和三門跡(大和国にある尼門跡寺院)
法華寺光明皇后ゆかりの御由緒寺院国分尼寺 氷室御所 真言律宗光明宗
中宮寺聖徳太子ゆかりの御由緒寺院 斑鳩御所 法相宗聖徳宗
円(圓)照寺:文智女王が隠棲した門跡寺院 山村御流家元(華道) 山村御所 臨済宗妙心寺派(非公開・拝観不可)