諫早城・高城神社

     
 西海道 肥前の国
 城 名 諫早
 別 称 高城、亀城
 所 属 菊池氏庶流
 築城年 文明年間
 築城主 西郷尚善
     
 高城神社
 県社
 祭 神
 龍造寺家晴
 りゅうぞうじいえはる
 菅原道真
 すがわらみちざね

荘園時代の正応年間(1288~1293)船越又次郎入道如覚が船越城を築き、伊佐早之庄を支配、後に伊佐早と姓を変えた 有喜城に進出した西郷氏は船越城を攻め取り、文明年間(1469~1487)西郷尚善が高城(諫早城)に移った 天正14年(1586)豊臣秀吉九州征伐に西郷氏は従わなかったため所領を没収され、龍造寺家晴が新領主となった 慶長12年(1607)二代・直孝の代に鍋島の家老格となり姓を諫早と改める 元禄12年(1699)五代・茂門が城郭の維持を断念し廃城、麓の諫早陣屋に移る 以降幕末まで龍造寺四家の一つとして続いた 陣屋の建物は廃藩置県後そのまま学校に転用したが、大正12年(1923)御書院以外は解体された
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訪問日 2014_11_13 遺 稿 建築遺構なし
入場料 無料 駐車場 無料 F1
諫早城本丸跡には龍造寺家の祖・藤原鎌足を祀る藤原明神と諫早家初代の龍造寺家晴を祀る高城明神があり、古宮さんと呼ばれている この両明神の前に、亀の背に塔が載っている亀の塔があり、通称“がめんとさん”と呼ばれている 正徳5年(1715)7代・茂晴が建立、寛保元年(1741)8代・茂行が建立した 麓の高城神社は明治15年に創建され、新宮さんと呼ばれ、祭神は諫早家初代龍造寺家晴公 諫早大水害で大破したため、昭和35年に現在地に移築された
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諫早市長崎県の中央部に位置し、西側は長崎半島、南側は島原半島の付け根にあたる 北西部で大村湾、東側で有明海(諫早湾)、南側で橘湾の3つの海に囲まれる 長崎街道・多良街道・島原街道の分岐点があり、重要な交通の要衝であった 大正7年(1918)公園として整備された 昭和33年(1958)諫早氏より諫早市に譲渡された 昭和35年(1960)本明川に架けられていた眼鏡橋(天保10年(1839)-重要文化財)を園内に移築 園内にはツツジが約3万本植えられており、毎年4月にはつつじ祭りで賑わう 陣屋跡は長崎県立諫早高等学校・中学校として使われており、校内に御書院と庭園が残されている