肥前国分寺・尼寺・国庁跡

     
 肥前国分寺・尼寺
 廃寺
 2014_11_13

佐賀市の北方1kmに尼寺(にいじ)という地名が残っており、東に僧寺が西に尼寺があった 創建の記録は残っていないが、鎌倉時代には地頭職に国分氏の名があり、かなりの勢力を持っていたと思われる 室町時代には衰退した 寛政4年(1792)江戸時代の絵図に描かれている寺域は、かなり縮小され北の小路内には多数の住宅が描かれている 近年、金光明王山・国分寺佐賀市水ヶ江の曹洞宗・宗龍寺の末寺となっていたが、昭和の後期に薬師堂は老朽化のため取壊し、本尊は宗龍寺に遷された
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昭和49年から50年に県文化課が発掘調査した 版築基壇は国分寺としては最大規模で、僧寺の東方では4基の瓦窯も見つかっている 開墾のため礎石も移動されて、伽藍配地などは全くわからない 平成2年(1990)佐賀市指定史跡となったが、住宅街の中にあり整備されていない
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佐賀大和インターチェンジ南に肥前国庁跡があり、資料館と歴史公園が整備されている 国の史跡に指定され、公園内には建物の一部を復元し、出土した瓦等は資料館に展示している
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大化の改新(645)により、中央集権の政治体制を目指した大和朝廷は、国毎に国府を定め、中央から国司を派遣して徴税・軍事・治安維持等に当たらせた 壬申の乱(672)を経て、大宝元年(701)大宝律令によって律令国家が完成した
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大和町は、奈良・平安時代肥前国の都として栄え、肥前国庁は8世紀後半に創建され、10世紀後半まで存続した その前後の国庁の所在地はわかっていない
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