飛騨一宮水無神社

     
 飛騨一宮水無(みなし)神社
 飛騨国一宮
 式内小・国幣小・別表神社
 祭 神
 水無大神
 みなしのおおかみ
 以下15柱の総称
  
 主祭神
 御歳大神(水無神)
 おおとしのおおかみ(みなしのかみ)
  
 配神
 大己貴命三穗津姫命応神天皇高降姫命神武天皇須沼比命天火明命少彦名命高照光姫命天熊人命、天照皇大神豊受姫大神、大歳神、大八椅命
 2014_09_21

創建の年代は不詳だが、神社の西南にある位山(くらいやま)を神体山として祀る 水無神(みなしのかみ)は平安時代中期の延喜式にも記載され、表裏日本を分かつ分水嶺に座して水源と交通の要衝を鎮め、実りと収穫を司る 社名の水無は川の水源をつかさどる水主・水成の意味で、「みずなし」・「すいむ」と読むこともある 神社の前を流れる宮川が水無川となることから、地名に由来するとも
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鎌倉時代には神仏習合が進み、釈迦像を安置して水無大菩薩と称した 天文~弘治年間には、社家・一宮国綱が松倉城主・三木自綱と姻戚関係を結び武威を誇った天正13年(1585)一宮国綱は金森長近に滅ぼされ、祭祀が途絶えた 慶長12年(1607)高山藩主となった金森長近は社殿を造営し再興 安永2年(1773)飛騨一円をまきこむ農民一揆・大原騒動が起き、当社が大集会の地となり、神職の山下和泉・森伊勢が処罰された 安永7年(1778)両部神道唯一神道に改め、阿弥陀堂・鐘堂・仁王門を撤去して大改修を行い、太々神楽を執行した 明治元年(1868)神仏分離を進め仏像等を撤去 明治5年(1872)世襲神主である社家を廃した
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島崎藤村の父・正樹が明治7年(1874)から明治10年(1877)まで宮司として在職した 昭和12年(1937)神衹院の国営工事として前社殿の大造営がはじまり、昭和24年(1949)完成した 第二次世界大戦の空襲や終戦直後の混乱を避けるため、熱田神宮御神体天叢雲剣)が1945年8月21日から同年9月19日までの間、一時避難(御動座)していた
 諸国一宮 訪問履歴 2014/11/8作成  
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